こわれもののメンバーによるブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
どうも。更新頻度高めな江原です。
やたらとやってるFF9と決別して、
曲作りを始める前にブログを更新。
さて、自分の個人的な日記にも書いたのですが、
今回改めてFF9をやり直して思った事があります。
割と今やっているところまでで、
「自分の意思」というものが大きく取り上げられているゲームだと思うんですが、
途中、ある都市の人々が戦火から逃れついた
クレイラという町があります。
で、そこがまた襲われて、逃げ惑う町の人々を主人公が誘導しながら
町を守るイベントがあるのですが、
その時「どっちに行けばいい?」と聞かれて、
答えた方角によっては、息子を逃がすために母親が犠牲になったり、
そっちに向かった人全員が殺されてしまったりするのです。
前は気付かなかったけど、これってとんでもないですよね?
「うわっ、重いな。」とビックリ。
自分の一存によって人々があっさり死んでいってしまう。
確かに、自分があっちなんて言わなければ・・・、と思ってしまいますね。
しかし、これはやっぱり映画や本ではできない、
ゲームという媒体だから出来る事だな、と思います。
感情移入どころではなく、実際プレイヤーが判断させられるという。
まぁ、確かにファンタジーの世界ではありますけど。
でも、これがファンタジーに入っているというのも良い面はあると思うんです。
シリアスな戦争モノとかでもっと深い考察を
持っている方には怒られちゃうかもしれませんが、
でもやはりそういう映画って見る人が限られてるという事と、
その上、どうしても構えて見ちゃうから、
そういうお題が入ってくるのが当然で見え透いててわざとらしい、
みたいに感じちゃう事もしばしばあるのが実際だと思うのです。
もちろん全員が全員ではないのですが、
ファンタジーでほのぼのやってる中で意表を突かれると、
同じ話題をドキュメンタリーとかで見るより、
深く考えるきっかけになっちゃう、なんて人もいるのではないかな、と。
まぁ、所詮ゲームと言われて
あれやこれや問題点を突っつかれればそれまでなのですが、
でも、自分はゲームのこういう点、評価しても良いかな、と思うのでした。
よぉし。思った事も吐き出してすっきりしたし、
今日も曲作りやるぞ!
あ、ついでにちょっと前に気づいたのですが、
俺「fragile」を「flagile」って間違えてますね。
以前も、rとlを間違えた覚えが・・・。
もう一つついでに、携帯用(EZ、imode、softvank)のサイトをつくりました。
携帯で普通にパソコンと同じアドレス
http://flagile.is-mine.net/
にアクセスしていただければ自動的に飛びますので。
もしよろしかったら、見てみてください。
PR
この記事にコメントする